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菊池桃子――現在は女優やタレントとして活躍する彼女だが、言わずと知れた80年代アイドルブームを代表するアイドルの1人。歌手デビュー30周年を迎え、アイドル時代を振り返りながら、今思うことについて語ってくれた。
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写真:歌手デビュー30周年記念DVD「菊池桃子inトップテン-日本テレビ秘蔵映像集-」を2014年12月にリリースした菊池桃子さん。


■ 「あれ? 合格しちゃったなぁ......」

 ―― 菊池が14歳のとき、本人の写真が、芸能関係者の目にとまりスカウトされ、芸能界入りすることになった。菊池自身は芸能界に対して強い憧れや目標とする芸能人が存在したわけではなく、「見てみたい」という好奇心からの芸能界入りだった為、デビュー以前は、常に「自分にはむいていないのでは」という不安な気持ちがついてまわっていたという。

 当時は、自分が芸能界でうまくいくなんて思ってなかったんです。というのも、スカウトされてデビューするまでの2年くらい、いろいろなオーディションを受けていたのですが、なかなかうまくいかなくて、両親も3年くらいしたら諦めるだろうと思っていたみたいです。......だから、ずっと自信が持てなかったんです。そんなとき『パンツの穴』という映画のオーディションに受かって、「あれ、合格しちゃったなぁ」と(笑)。そこからようやく、映画出演、歌手デビュー、私の名前の本『Momoco』が学研から出版され、芸能活動が始まりました。レコードデビューして3枚目の『雪にかいたLOVE LETTER』でようやく全国的に名前を知られるようになって、ようやく「あ、わたしでも大丈夫なんだ。わたしでも出来るんだ」と、少しずつ自信を積み重ねていきました。

■ 放送事故の夢を時々見るんです。
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写真:ザ・トップテン『青春のいじわる』にて初登場(1984年5月21日渋谷公会堂)


―― 1984年「青春のいじわる」で歌手デビューを果たすと、その後もヒット曲を連発。少しずつ自信を積み重ねたが、それでも日々緊張の連続だったという。

 私、実はとても緊張しやすくて、1人で舞台に立って歌うのがすごく怖かったんです。当時、歌番組はほとんど生放送だったのですが、「ステージで歌詞が出てこなかったらどうしよう」なんて放送事故の夢をよく見て、汗びっしょりで目が覚めることがありました(笑)。大人になった今も、回数こそ減りましたけど、まだ時々見ますね。そういった意味では、スタッフさんや共演者の方々が一緒にいて、一人ぼっちにならないお芝居のお仕事は好きでしたね。

■ アイドルからロックバンドへの転機
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写真:歌のトップテン『愛は心の仕事です』にて登場(1988年3月14日渋谷公会堂)


―― 1988年ロックバンド「ラ・ムー」を結成。今でこそアイドルが、ロックバンドといっても違和感のない時代ではあるが、当時清純派なイメージの強かった菊池が、ロックグループに転身というのは非常に画期的な試み。アイドル時代の一部ファンは戸惑いがあったのだが、菊池自身としては自然な流れだったという。

 デビューから同じ音楽スタッフで続けていて、「こういう時代にはこういうのが良いだろう」「今度はこんな感じはどうだろう?」と導いていただいたので、私としてはすごく自然な流れでした。昔から応援してくれていた方々は、「なんか急に派手になっちゃってハラハラした」とか賛否両論あったみたいですが、今のようにネット時代ではなかったので、あまり私の耳には入ってきませんでした。私としては、「ソロもラ・ムーも含めて愛していただきたい」という思いで、一生懸命でしたね。

■ 音楽を通じて暮らしが豊かに。

 実は小さい頃から音楽は好きで、親の勧めもあってピアノを習い事として続けていました。ラ・ムーのメンバーはスタジオミュージシャンの方が多く、そういう環境の中に身を置くことで、クラシックの譜面だけではなく、音楽理論やピアノも上達しました。楽器を弾くのはいまだに好きで家でよく弾いています。

 子どもを持つようになってからは、ポケモンや、NHKの子供番組の曲など、いろいろ耳でコピーをして自分で弾いて聴かせるんです。そうすると「お母さん、魔法使い!」「もっと歌って」と喜ばれましたね(笑)。最近だと娘の好きなバンドのSEKAI NO OWARIを弾いて「お母さん完全コピーじゃん!」なんて褒められています(笑)。

 親からお稽古事として与えてもらったピアノの基礎があって、ソロで活動したときの積み重ね、そしてラ・ムーでポップスを知り、今は音楽を通じて暮らしが豊かになっているなぁと実感しています。

■ 芸能活動・母親・大学教授という"3足のわらじ"

――「ラ・ムー」以降、菊池は芸能活動での軸足を女優へとシフトさせていく。

 大学卒業を機に、今までよりも芸能活動できる時間が増えて、連続ドラマに何本か続けて出演しました。女優のお仕事って年代年代で違った役が来るので、自分でも夢中になってしまいました。

――そして1995年に26歳で結婚。96年には長男、2001年には長女を出産し、女性として"母親"という人生の大きな転換期を迎える。さらに近年になって母校・戸板女子短期大学の客員教授に就任。雇用政策におけるキャリア教育の講義を受け持つことになるが、そのきっかけは、長女の障がいにあった。

 長女が乳児期に脳梗塞を患い、手足に軽度の後遺症が残りました。子どもを導くにあたって、最初は独学で子育ての仕方や<生きていく>ということについて勉強し始めました。本をたくさん読んだり、いろいろな人の講演を聞きに行ったり、時には論文を読んでみたり。勉強への欲が、独学から教育機関に向き「もっと深い勉強をしたい」「まだ体力も時間もある。だったら真剣に勉強してみよう」と思ったのが39歳の時でした。それが人との出会いや学問との出会いで、今、母校である戸板女子短期大学で客員教授として、教える機会まで持てるようになりました。

■ 「気がついたら、30年たっていました」

 歌手デビュー30周年を迎えた今の心境を聞いたときの菊池の言葉だ。14歳で芸能界に入り、歌手デビューし、ロックバンド、そして女優やタレント――。
結婚して母親となり、そして大学教授へ。これまでの30年間には幾度もの転換期があったが、自然体であり続けた。自分自身で居続けること、それがいかに難しいことかは言うまでもないだろう。インタビューの最後に彼女の座右の銘をうかがって、納得。
「笑う門には福来る」――なるほど、彼女が常に自然体でいられたのは、その前向きな笑顔がもたらした「福」だったのだろう。

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写真:歌手デビュー30周年記念DVD「菊池桃子inトップテン-日本テレビ秘蔵映像集-」



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☆歌手デビュー30周年記念DVD「菊池桃子inトップテン-日本テレビ秘蔵映像集-」発売中。日本テレビの歌番組「ザ・トップテン」「歌のトップテン」出演映像、全52回が完全収録。DISC2には「スーパーJOCKEY」「うるとら7:00」への出演・歌唱映像といった秘蔵映像も収録されている。

◆菊池桃子(きくちももこ)
1968年5月4日生まれ、東京都出身。1983年11月に学研のアイドル雑誌「Momoco」のイメージガールとして創刊号の表紙を飾り、1984年3月公開の映画「パンツの穴」でデビュー。同年「青春のいじわる」でレコードデビュー。現在、女優・歌手・講演活動のほか、ナレーション・CM・婦人雑貨のプロデュースを務める。2012年3月法政大学大学院政策創造専攻修士課程修了後、母校である戸板女子短期大学の客員教授に就任しキャリア教育の講義を担当している。
2014年デビュー30周年記念してCD「青春ラブレター ~30th Celebration Best~」、
DVD「30th anniversary 菊池桃子 in トップテン」が発売。

(文/花@HEW

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