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16歳から彼女と同棲(どうせい)、1998年には実は息子がいたことを公表......そんな一見、破天荒な俳優に見える河相我聞。90年代、ドラマ「天までとどけ」(TBS系)で突如としてブレイク、あっという間にアイドルになってしまった彼は、当時の自分を「調子に乗っていた」とはにかみながら回想する。そんな河相が90年代の仕事への姿勢、そして芸能活動を辞めようと思っていたときに出会った心から尊敬できる人物について語ってくれた。

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【90sTV マンスリーインタビュー】河相我聞


■仕事をなんだと思ってるんだ! と怒鳴られた過去

「90年代の仕事、恋愛、遊びの割合は、遊びが6割くらい。それから恋愛が3割で、仕事は1割くらいでした。計算合ってますよね?(笑)。小さい頃からお仕事させていただいていたせいか、当時は仕事をしている感覚って全然なくて。きちんとやらなくちゃ! みたいな感覚も全然なかった。今となっては健康を気遣うようになりましたけれど、当時は仕事が始まる数時間前まで飲んだり遊んだりドンチャン騒ぎで、役のセリフも全然覚えていかなかった。だから実際に撮影が始まっても、セリフを台本通り読まなかったりして、監督に『お前脚本なんだと思ってるんだ! 芝居やめろ!』って怒られてましたね。周りからも『お前もっとちゃんとしろよ』って言われるくらい自由に仕事をしていました。でも90年代のプロデューサーさんとかは、いわゆる真面目な子よりもちょっとはみだしているくらいの子の方が好きみたいな風潮があったようで、気に入ってもらえてたみたいです。

当時付き合っていた彼女とも16歳から同棲(どうせい)していたし、本当に"遊び、恋愛、少しだけ仕事"って感じでした。いしだ壱成君とかにも『お前はひどかった、考えられない』って言われていましたね。なんていうか、やさぐれているとか、つっぱってるというひどさではなかったんですよ。とにかくふざけてるっていうひどさでした。
だって平気で2時間とか遅刻してたんですよ。どんな大御所だよって思いますよね(笑)。撮影開始のときに『河相がいないぞ!』ってなって、家に電話がかかってくるんです。それで僕は『あ、寝てました。今から行きます』って。それでOKだったんですよ。全然名前も売れてなかったのに。今なんて1分遅れただけでもドキドキするのに......。本当に調子乗ってますよね。そのころはちょっと気取ってサングラスもかけてました」

■本当は暗いオタク系の中学生だった

「僕が15歳くらいのときに、「天までとどけ」(TBS系)というドラマのおかげで自分の名前が世に出たんです。そのころから25歳くらいまでの間が一番忙しかったかな。

そのときにはもうひとり暮らしを始めていたんです。だから中学校に通っていても、ワイシャツはアイロンがかかってなくてヨレヨレ......靴も履きつぶしていて、決して小綺麗な見た目とは言えなかった。しかもゲームに夢中でオタク系の中学生でした。性格も暗かったんです。
でもテレビに出るようになってから、他の学校の女の子が僕を見に来るようになった。部活で大会に出るとキャーキャー言われるようになって......急に人気者になったんだなあという感覚がありました。それまでは歓声なんてなかったから、本当に事故にあったみたいな感じで(笑)。

そのうち、アイドル雑誌の取材がたくさん来るようになって、そのあたりからアイドルの仲間入りをしていました。事務所に行ったらダンボールいっぱいに入ったファンレターが届いていたりして。僕は小学4年生くらいからこの仕事をしていて、はじめはずっとエキストラだったんですね。だから友達からも『あいつテレビに出てるらしいよ』『でも通行人役じゃん! エキストラじゃん!』なんてちょっと馬鹿にされていた。だから名前が世に出るようになって、『ほらね!』って気持ちはありました」

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【90sTV マンスリーインタビュー】河相我聞


■"ふざけた"仕事への姿勢が変化した出会い

「そんなふうに仕事に対しての姿勢はふざけていたんですが、1998年に出演させていただいた映画『緑の街』で監督をされていた小田和正さんに出会ってから意識が変わりました。22、3歳くらいのとき、この仕事をやめようかなって考えてたんです。このまま続けても先が楽しくなさそうだなぁと思っていて。でも小田さんの作品に参加させてもらったときに、50歳を過ぎた人がまだ何か新しいものを作ろうとしているという姿に感銘を受けた。小田さんは映画を公開するために自分でフィルムを持っていって、普通の映画館ではなく、コンサート会場でフィルムを上演するってことをしていたんです。それをイチから全部自分でやられていた。そんなふうに作品を作る姿を見ていたら、『僕、人生の考え方間違ってたな』と気づきました。

その後、小田さんとお話をさせていただく機会がありまして、そのときに『小田さんみたいな人になりたい、こういう歳の取り方をしたい』と思い、少しずつ考え方が変わっていきました。仕事をやめようと思っていたけど、やっぱり頑張ろうと。そうしたら仕事に対する考え方、姿勢も変わっていきました。それまで適当にやってしまっていた部分がなくなっていって......仕事に対してすごくストイックで、一切妥協のない小田さんに少しでも近づこうと思いました。

90年代は、本当に忙しかったし、結婚もすれば子どもも生まれた。いろいろなことを体験したり感じたりして、もし僕がもっと歳をとってから過去を振り返ったとしたら、『90年代が一番濃かったな~』と回想すると思います」


ふたりの息子を持つ父親となり、ずいぶんと落ち着いた印象を見せる河相。当時のことを懐かしそうに語る河相の表情からは、激動の90年代を過ごしたからこその深みが見えた。

◆河相我聞(かあい がもん)

1975年5月24日生まれ。埼玉県出身。1991年にドラマ「天までとどけ」(TBS系)に出演。13人兄弟の次男・丸山信平役を務めたことがきっかけでブレイク。その後も映画俳優や歌手などマルチに活躍する。

(文/おきざきみあ@HEW
(写真:トレンドニュース)

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