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岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』や、NHK朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』など話題作に次々と出演し、1990年代後半~2000年代にかけて老若男女問わず人気を博していた俳優、小橋賢児。ここ最近は表舞台から姿を消している印象があった彼だが、実は現在、映像制作やファッションショー、企業のプロモーションイベントを請け負う株式会社「BIGBOYS」の経営者としてマルチに活躍しているという。世界最大級のモンスターフェス「ULTRA MUSIC FESTIVAL」のアジア進出に携わり、「ULTRA JAPAN」のクリエイティブディレクターを務めるまでになった小橋。そこに至るまでには紆余曲折があった。いわゆる「芸能活動」に疑問を感じ、人気絶頂期に俳優を休業、単身アメリカに渡った彼が掴み取ったヴィジョンとは......?
今年は9月19日 (土)から3日間にわたって開催される「ULTRA JAPAN 2015」。そこへの意気込みや、「ULTRA」の魅力について大いに語ってもらった。

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「ULTRA JAPAN」クリエイティブディレクターを務める小橋賢児


ーー小橋さんが、俳優を一旦休業しようと思ったワケは?

「20代の頃はずっと俳優をやっていて、はたから見れば順調と思われていたのでしょうけど、実は自分自身、いろいろ我慢していること、制約もたくさんあって、どんどんストレスがたまっていったんですね。もともとクラブカルチャーやアンダーグラウンドなものが大好きで、本当はストリートで体験したものを自分で感じてアウトプットするという生き方をしたかったのに、俳優業になってからは全てがアウトプットの日々。自由に行きたい場所もいけないし恋愛もできない。インプットが全くできない状態になってしまって......。今思えばそれ自体も環境を理由にした言い訳なのですが...
それでも日本の芸能界というのは、365日働きづめなんですよ。そのうち自分の感覚がどんどん麻痺(まひ)していく。というか、麻痺(まひ)させなければ痛くてやってられない。そんな状態のまま20代が終わっていいのか、30代を見据えたとき、このままの生活を続けるのではなく、自分の生き方を何かしたいって思ったんですよね。それで、まずはネパールに一人で行ってみようと」

ーーネパールではどんな日々を過ごしていたのですか?

「トレッキングをしたり、星空を見たり。そこで現地に暮らす同い年の男の子と出会い、仲良くなりました。彼は貧しい暮らしだけどかわいい奥さんとかわいい子がいて、日々を懸命に生きている。かたや僕はというと、自分を守りながら日本でそれなりの生活をしつつ悶々としている。そんな状態で、二人で夕焼けを見ているうちに感情が極まって号泣してしまったんですよ(笑)。それからは、帰国しても全てがむなしく白々しく感じるようになってしまい、もう居ても立ってもいられなくなって、27歳でアメリカへ渡って、滞在中にアメリカ横断にチャレンジしました」

ーーそこで「ULTRA MUSIC FESTIVAL」と出会ったのですね。

「アメリカ横断のゴールがたまたまマイアミだったんですが、ちょうど『ULTRA』が開催されていて。自分よりもちょっと下の若者たちが、みんな青空の下で楽しそうに踊っている光景を見て『こんな楽しみ方なんて忘れてた』と感銘を受けましたね。そこからもっと、世界のイベントを見てみたくなって、イビザやベルリンなどへ行くようになりました。そのうち自分でもやりたくなって、仲間と一緒にチームを立ち上げたんです。最初は本当に手探りで、美術から何から全て手作りだし、映像も自分で撮って流したりしていました。気づけばどんどん規模が大きくなっていって......。だから、俳優を休業してからの自分は、大きな目標を据えてそこに向かって進んでいくというより、その場その場で目の前にやれることを試行錯誤しながらやっていくうちに、気づけばここまで来ていたという感じです。わずか5年前には、まさか自分が『ULTRA』のディレクターをやってるなんて想像もできなかったでしょうね(笑)」

ーー数ある音楽フェスのなかでも「ULTRA MUSIC FESTIVAL」の魅力は?

「もっとも大きいのは都市型であること。街の中なのでアクセスがしやすいんです。それに、例えばマイアミだとサウスビーチがあるから、午前中は海に行って、午後はフェスを満喫、フェスが終わったらホテルに戻ってドレスアップし、夜の街へ出かけられる。一日に三度ファッションを楽しめるんです。これが山奥のフェスだと、雨が降ってきたら合羽が必要だったり、キャンプ道具が必要だったり、アウトドアなファッションしか選択肢がないわけです。それに山奥のフェスは、友達を誘いたくとも相当好きな人じゃないと来てくれないじゃないですか(笑)。でも、(『ULTRA JAPAN』の会場となる)お台場くらいの距離なら気軽に誘えますよね?」

ーーそれに都市型なら、フェスだけでなく観光も楽しめます。

「そうなんです。『ULTRA』のような都市型フェスは、フェスをキッカケにその国を観光できる。『どうせ日本へ行くならULTRAの時期に合わせていこう』っていう外国人が増えたらすごく嬉しい。実際、そうやって『ULTRA』を追いかけて世界中を旅している人はたくさんいます。日本人の中からも、今後そういう人が増えていくのではないでしょうか」

ーーでは、その「ULTRA JAPAN 2015」のラインアップを教えてください。

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9月19日(土)から3日間にわたり開催される「ULTRA JAPAN 2015」


「現時点で発表されているだけでも、錚々たる顔ぶれです。トランスミュージックの帝王アーミン・ヴァン・ブーレンをはじめ、EDMシーンをメジャーに押し上げたといっても過言ではないDJデヴィッド・ゲッタ、ニッキー・ロメロそしてグラミー賞アーティストのスクリレックス。今のいわゆるEDMとポップミュージックの架け橋を作った鉄板の三人がヘッドライナーを飾ってくれるのは、今までの日本じゃ信じられないですよね。さらに今回は、アンダーグラウンド層のステージも強化したいと考えています。『ULTRA』は決してEDMに特化したフェスではなく、『エレクリックダンスミュージックを中心とした音楽のフェスティバル』なんです。だからそこにはアンダーグラウンドな音楽もあるし、エクストリームなEDMもある。他の多くの音楽フェスと同様、いろんな新しい音楽に出会える場なんですよね。違うジャンルの人たちが一緒に楽しめる場にしていきたいし、そのために、まだ言えないけどすてきなラインアップがこれからどんどん発表されますよ」

ーーここ数年で、「ULTRA MUSIC FESTIVAL」が爆発的なムーヴメントとなったのは、どんな背景があると考えていますか?

「やはり、SNSの発達とは切っても切り離せないでしょうね。みんながTwitterやFacebookを使うようになり、個人が情報チャンネルを持ったことによって、それぞれが世界中に"勝手に宣伝"し始めた。それに呼応するように、例えばULTRAの映像を生配信したり、アフタームービーを誰でもシェア可能にしたり、会場では誰でも写真撮影OKにしました。観客が自分の居場所を伝えたり、自分の存在を説明したり、このイベントに参加したことの報告をしたり、そしてそれがどんどんシェアされていく。さらにそれを見た人たちが、『こんな楽しそうなイベントがあるなら行きたい!』『「じゃあ今度行こうよ!』とつぶやき、それがまた宣伝となって、翌年にはものすごい動員数になっているという。SNSと結びついたフェスは、もはやライフスタイルにも密着しているんですよ。フェスに着ていく服を考えたり、一緒に行く人を求め合ったり、決起会を開いたり、アフターパーティを開いたり」

ーー世界中のフェスが生配信を始めた当初は、「そんなことをしたら動員が減るのでは?」という声もありましたが、動員が減るどころかどんどん増えています。

「例えば昔だったら、レイヴとか、どこにあるのか、どんな人たちが集まっているのか、一人で行っても大丈夫なのか、どんな格好をしていけばいいのか、何の情報もないから不安もあるし、行きたくても躊躇(ちゅうちょ)してた人って多かったと思うんですよ。それが、例えば『ULTRA』のように昼間、明るい中でかわいい女の子たちがオシャレして参加しているということが、インターネットでシェアされていったことにより、『これなら私もいけるじゃん!』、『これなら俺も行ってみたい!』ってなったわけです。それが動員につながったのは間違いないでしょうね。海外フェスへ行くことへのハードルを、SNSがどんどん下げていったのだと思います」

ーーでは、小橋さんの目指す視線の先にはどんな世界が広がっているのか、最後にお聞かせください。

「僕は別にフェスの仕掛け人になりたいわけでも、ダンスミュージックのムーブメントを起こしたいわけでもないんです。自分が休業して旅に出たとき、リアルに感じたことがとても大事だなと思っていて。例えば海外に行くとき、山に行くとき、そのプロセスで感じたこと、想像もしなかったことに出会ったことが、今につながっていると思うんですね。僕は、今の若者たちにそんな感情を共有してほしいんです。そのためには、まずは『楽しい』っていう感覚を持つこと。何かを始めるときの入り口は、『楽しい』とか『わくわくする』ことで、そこから人生が始まっていくんじゃないかなと。そういうものを日本に作りたいんです。『ULTRA』をキッカケに海外へ行く、『ULTRA』をキッカケに日常の見えるものが変わっていく。10年後20年後、『あのときお台場のULTRAで人生が変わった』っていう子たちが、未来を作っているような世の中になっていてほしい。それが僕の中の一つのゴールかなと思っています」

■プロフィール
小橋賢児
映画監督、イベントプロデューサー
1979年8月19日生まれ、1988年、芸能界デビュー。以後、数々のドラマや映画、舞台に出演し人気を博す。役者として幅広く活躍する。しかし、2007年 可能性を広げたいと俳優活動を休業し渡米。その後も世界中を旅し続け、映像制作を始め2012年ドキュメンタリー映画『DON'T STOP!』で映画監督デビュー。SKIPシティ国際Dシネマ映画祭にてSKIPシティ アワードとSKIPシティDシネマプロジェクトをW受賞。
また、世界中で出会ったイベントからインスパイアされ、イベント制作会社を設立。ファッションブランドをはじめとする様々なイベントの企画、演出をしている。
座右の銘は、「人生とは生きること、そして死ぬこと」

(文/黒田隆憲@HEW
(写真:トレンドニュース)

トレンドニュース「視線の先」 ~築く・創る・輝く~
エンタメ業界を担う人が見ている「視線の先」には何が映るのか。
作品には、関わる人の想いや意志が必ず存在する。表舞台を飾る「演者・アーティスト」、裏を支える「クリエイター、製作者」、これから輝く「未来のエンタメ人」。それぞれの立場にスポットをあてたコーナー<視線の先>を展開。インタビューを通してエンタメ表現者たちの作品に対する想いや自身の生き方、業界を見据えた考えを読者にお届けします。

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