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明石家さんまといえば、誰もが認める"お笑い怪獣"。その弾の尽きないマシンガントークを何十年も続け酷使した声帯の年齢は「150歳」とも言われ、さらにいつ何時もしゃべり続け、眠っている姿を誰も見たことがない......などなど都市伝説のような逸話も数多い。冗談のような、それでいて納得してしまいそうな、そんなまことしやかな話の真相や知られざるエピソードについて、さんまを「若」と慕い、長年の付き合いがある放送作家の前田政二さんに聞いた。

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「深夜ラジオとひょうきん族と-ラブユー貧乏たちとおバカな事件簿-」(ヨシモトブックス)を7月10日に出版


■徹夜のマージャン明けで草野球「30分だけ寝られるなぁ」

前田さんは、ダウンタウンらと同期のコンビ、銀次・政二のボケ担当としてデビュー。その後、今や伝説のテレビ番組「オレたちひょうきん族」では村上ショージ、Mr.オクレとともに「何人トリオ」のメンバーとして一世を風靡(ふうび)した。そんな前田さんが、「ひょうきん族」全盛の当時、さんまを中心とする芸人たちが巻き起こしたさまざまな"事件"をつづった著書「深夜ラジオとひょうきん族と-ラブユー貧乏たちとおバカな事件簿-」(ヨシモトブックス)を7月10日に出版した。
同書の中でもやはり「さんまは寝ない」という逸話について触れられているが、前田さんいわく、さんまは「寝たくない」人なのだという。

「さんまさんは普段の遊びのなかから起きた面白いことをネタにするタイプ。だから『寝ている間におもろいことが起こるかもわからんのに、寝てられるか』というわけです。当時、人気絶頂ですごいハードスケジュールなんですけど、週に何日間は大阪に帰ってきて僕たちと徹夜で遊ぶんです。とくに週2回の草野球を楽しみにしていて絶対に予定を崩したくない。とにかく遊びにかける情熱がすごいんです。でも自分だけが楽しみたいというわけじゃなくて、その楽しい時間をみんなと共有したい。すごく気を遣われる人なので、『みんな、楽しんでるかな』て確認しながら遊ぶ。こっちはもちろん楽しいのは楽しいんですけど、ただ、眠たいとも言えないじゃないですか(笑)。誰一人言えない。相当きつかったですね。徹夜のマージャン明けで、翌朝は草野球の試合が入ってる、っていう状況で僕たちに『ほんじゃ、30分だけ寝られるなぁ』って笑うんです(苦笑)」

しかしそんな状況でも、さんまが眠たそうにしている姿は、前田さんですら一度も見たことがないという。毎日のようにテレビやラジオ、劇場に出ずっぱり。その空き時間を遊びに費やし、さらに街を歩けば「さんまちゃん!」と誰からも声を掛けられ、気づけば黒山の人だかり。

「今で言うSMAPとか嵐くらいのワーキャーと人が寄って来てました。ご自身でもよく話していますけど、言い方が冗談っぽいから『またまたぁ』みたいなことになってあまり信じられていない。でもほんっとにすごかったんですから。もう行くとこ行くとこ、僕やショージ兄さんなんかは露払いで大変でした。でもさんまさんは人に寄ってこられるのが好きなのか、本当に嫌がらないんですよ。でも、街中で立ち止まってサインとかしだしたら、交通が混乱してしまう。パニック状態になりだした頃には、さすがにファンサービスを控えて車に乗り込んだりしていましたけど。ホントにすごかったです。完全にアイドルでした」

■大竹しのぶとの結婚報告

そんな人気絶頂の最中に、本人は仕事の合間に寝る間も惜しんでマージャンと草野球。遊ぶ相手はファミリーの男たちばかり。当時、名前を聞けば誰でも知っているような女優や歌手などそうそうたるビッグネームとの恋愛がうわさされたが、実際の女性関係については「そこだけは僕らにも見せないんです」と前田さん。「さんまさんは、女性より僕ら男たちと遊ぶことをとる人でした。逆に、若ってあんなにいろいろうわさになってるけど、それがうそかホントかは別として、いつ女と遊んでるんやろ? っていうくらい。寝てないし(笑)」と前田さんは首をかしげる。そんな、女性関係をチラつかせもしないさんまが、ファミリーに初めて、そして唯一「結婚する」と明かした相手が、女優・大竹しのぶだ。

「来週な、世間やマスコミに発表するから、その前にお前らだけには伝えておきたいことがあるねん...俺な、『男女7人』の桃子と入籍するから!」(『深夜ラジオとひょうきん族と』より抜粋)

それは大竹との仲がすでに週刊誌などでうわさになり始めていた頃で、さんまと車で行動していた前田さんほかの面々は、尾行してくるパパラッチをバックミラーでいち早く察知しては、"まく"ために大阪の街中でカーレースを繰り広げたこともあったという。そんな折、さんまから突然の結婚報告に、前田さんは「うわさはホンマやったんや」という気持ちとともに、「今までそんなことなかったのに、うわっ、今までひた隠しにしていた若がついに言った! って僕らものすごいびっくりしたんです」とその当時を振り返った。

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「深夜ラジオとひょうきん族と-ラブユー貧乏たちとおバカな事件簿-」(ヨシモトブックス)を7月10日に出版


■若手芸人がおびえる「さんまのアイコンタクト」

さんまのことを「心の師匠です」と言い切る前田さん。だが面と向かって言葉で芸に対する教えを受けたりしたことはない。「見て覚えろ」ということすら言われたことはない。それでも行動をともにする毎日が修行の場だった。今でこそ若手芸人が口々にその恐怖を語る「さんまのアイコンタクト」も当時から受けて来た。遊びの中で得た面白い話を一度でもさんまに聞かせたなら、それを引き出しに入れていつでも出せるように用意しておかなければならない。「さんまさんはそういう話を全部覚えてるんですよ。だからフリートークの最中に『あの話、行くで』って突然アイコンタクトしてくる。僕らは『え、どの話やったっけ?』って引き出しを必死で探すんです」――。遊びの中に、日常の中に笑いがある。じっとしていても面白い話は生まれない。遊びの中にこそ面白いことが転がっている。だからさんまは「寝たくない」のだ。寝ずに、真剣に遊ぶ。草野球であっても、いい加減なプレーをしようものなら容赦のない怒声が飛んでくる。ただし、それは仲間に対してだけのこと。同書の中で、若き前田青年があることが原因でさんまからこっぴどく殴りつけられ叱りつけられるワンシーンが描かれている。前田さんにその当時の思いをうかがってみると、「さんまさんって怒るイメージが全く無いじゃないですか。実際、本当に身内にしか怒らない。それも『俺の前で良かったよ、今日の失敗は。よそでそんなことしたらもしかしたら仕事がなくなるかもしれないよ』という愛のある叱り方なんですよ。それが見えるので『うるさいなー』とは思わなかったです。むしろ『身内として認められた』って」――。

遊んで笑って、寝食をともにし(寝ていないが)、そして叱られ......さんまファミリーとは、前田さんたちにとって単なる名称ではなく本来の意味での"家族"だったようだ。

前田政二
1982年、吉本総合芸能学院(NSC)一期生として入学し、漫才コンビ「銀次・政二」でデビュー。ツッパリ漫才で人気を博したが1984年にコンビ解散。ピン芸人として活動し、その後、村上ショージ、Mr.オクレとともに「何人トリオ」を結成。「オレたちひょうきん族」などにレギュラー出演する。トリオ解散後はタレントとして活動し1996年に放送作家に転向、現在は大阪・東京のNSCで講師も務める。「深夜ラジオとひょうきん族と-ラブユー貧乏たちとおバカな事件簿-」(ヨシモトブックス)を7月10日に出版。
座右の銘は「気配りを忘れず、機転を利かせる」

(取材・文/花@HEW
(写真:トレンドニュース)

トレンドニュース「視線の先」 ~築く・創る・輝く~
エンタメ業界を担う人が見ている「視線の先」には何が映るのか。
作品には、関わる人の想いや意志が必ず存在する。表舞台を飾る「演者・アーティスト」、裏を支える「クリエイター、製作者」、これから輝く「未来のエンタメ人」。それぞれの立場にスポットをあてたコーナー<視線の先>を展開。インタビューを通してエンタメ表現者たちの作品に対する想いや自身の生き方、業界を見据えた考えを読者にお届けします。

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