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1995年に織田哲郎のプロデュースによるシングル「夢見る少女じゃいられない」で歌手デビューし、ファーストアルバムではダブルミリオンを記録し大ブレイクを果たした相川七瀬。12月13日に放送されるフジテレビ系「ウチくる!?」では、これまでの歌手活動20年間を振り返る。そんな彼女に話を聞くと長い歌手活動の中で音楽の方向性を見失った時期もあったという。

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12月13日放送 フジテレビ系「ウチくる!?」に出演する相川七瀬


■自分の音楽、ROCK観が分からなくなった

20年という中で当然、浮き沈みもあり、いい時期もつらい時期もありました。出口の見えない迷路の中にいるようなそんな時間でした。過去の自分との折り合いも付けなければならない、人としても歌手としても脱皮しなくてはならない葛藤もありました。
そこで私ががむしゃらにやり始めたのは徹底的に歌うための身体を作ること、声帯の力を抜いて歌えるようにトレーニングをやり直すことでした。デビュー当時にやれなかった初歩的なことをやり直してゆく作業を積み重ねていく中で、光を見いだそうとしていたのかもしれません。
特に、結婚してからの10年間は、人生観も歌手としても大きくシフトしなければならない時期だったのだと思います。でもどんな時でも、歌う事が、嫌いだとは思う事はなかった。どんな環境になってもいくつ年を重ねてもやっぱり『歌が好きだ』という気持ちが私を支え続けていました。歌が好きで、歌手に憧れてこの世界に出てきたので、その思いが消えなかったというのが本当に一番の支えとなりました。

■プレッシャーとの戦い

デビューした当初は右も左も分からなく、毎日を懸命に乗り越えていくような感じでした。本格的にプレッシャーを感じ始めたのはやはり1stアルバムの後でしょうか。
REDというアルバムはとても多くの方に聴いて頂き、2ndを作る時は大変なプレッシャーで押しつぶされそうだった。作詞をしていく上でも未熟で、書いても書いてもプロデューサーの織田哲郎さんの求めるクオリティーには達していなく、いつも泣いていました(笑)。物を作るという事、人に届けるという事。初のコンサートツアーなどを経験し理解できるようになっていく中でプレッシャーも比例して大きくなりました。しかしその中で原動力となったのはファンの人たちの声であり、側で支えてくれるスタッフでした。

■ここからがやっとスタートライン

歌手としてもやっと20年。成人したので、ここからが私の本当の意味でのスタートかなと思います。今年はライブ、レコーディングも含めてプロデューサーの織田哲郎さんとたくさんの時間を過ごしました。織田さんの音楽へのこだわり、妥協のなさを改めて見せてもらえた。今の私の年齢は当時私をプロデュースしてくれていた時の織田さんの年齢です。そういう意味からも原点というか、自分の音楽について深く考えさせられました。この先のまた10年を見据えてどう歌っていくのか。
その方向性を久しぶりの織田さんとの新曲で提示されたかのようなそんな心境です。進化と改革を怖れずにこれからも私なりのROCK観を歌って行きたいそう思っています。

一度は自身の音楽性を見失った相川だが、彼女のそばにはいつでも支えてくれる人々と、ロックが寄り添っていた。

◆相川七瀬(あいかわ ななせ)

1975年生まれ。大阪府出身。1995年「夢見る少女じゃいられない」でデビューして以来、現在までのCDトータルセールスは1200万枚を越えている。今年8月26日には久々に織田哲郎との最強タッグで20周年アニバーサリーシングル「満月にSHOUT!」をリリース。10月28日には織田哲郎が他のアーティストに楽曲提供した名曲をカバーする、初のカバーアルバム「Treasure Box」をリリース。11月8日でデビュー20周年を迎えた。

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エンタメ業界を担う人が見ている「視線の先」には何が映るのか。
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