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なかなか陽の目を見ることのないまま気づいたら何年もたっていた、一度"天国"を経験してしまったがために仕事がほとんどなくなった今も芸人を辞めることができない......。さまざまな思いを抱えながら苦しい生活を続けている芸人たちはたくさんいる。今回はそんな地獄の日々を送る芸人の中から、ブラックパイナーSOS、三拍子、テル、神宮寺しし丸の4組に集まってもらい、それぞれの"地獄"について語ってもらった。

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(GYAO! トークバラエティ「ぶるぺん」出演 地獄芸人特集)
(写真は上段左からブラックパイナーSOS・山野拓也と内藤正樹、神宮寺しし丸、下段左から三拍子・高倉陵と久保孝真、テル)


■昔は芸人界のアイドルだったのに......

ブラックパイナーSOS・内藤正樹「僕らは高校時代からお笑いをやり始めたんですけど、最初はすごかったんです。始めてすぐにグワーッと人気が出て、雑誌にもたくさん出させてもらっていました。その後に『ボキャブラ天国』っていう番組でまたガーッときたんですけど、その番組が2年で終わっちゃって、もう20歳くらいから地獄が始まりましたね」

ブラックパイナーSOS・山野拓也「アイドル的な扱いだったので、当時はお笑いライブに出てもネタができないくらい『キャーッ!』って言われていました。おぎやはぎさんとかアンタッチャブルさんとかビビるさんとか、今でも売れている人たちと一緒に出ていたんですけど、その中で『キャーッ!』ですからね」

内藤「当時は1枚1,000円のサインも飛ぶように売れてました」

山野「ファンも多かったんですけど、みんな乗り換えていくんですよね。先週まで僕らのファンだったのに今週は他のコンビのファンになってるとか。今では当時のファンの人に『10年前にファンでした。いつ再結成したんですか?』とか聞かれたりしますからね。『1回も解散してねぇよ!』って。しかも1回ピークの楽しみを味わっちゃってるから、その快感が忘れられなくて芸人を辞めるに辞められない」

内藤「なんなら僕ら最初は3人組だったんです。途中でひとり辞めてるんですけど、そいつは今すげぇ幸せそうな人生を送ってますからね。しかも僕なんて1個上にお兄ちゃんがいるんですけど、そのお兄ちゃんがIT企業の社長なんです。会社を6、7個持っていてお金も何十億とありますから。なので親にお兄ちゃんと比べられて『本当におまえはどうしようもないやつだ』って言われてます」

■お笑いライブに出ても赤字の"年収ゼロ"生活

三拍子・高倉陵「僕らもスタートは良かったんです」

三拍子・久保孝真「当時はどのネタ番組に出ても必ず一番若手で、どこに行ってもウケてました。『笑いの金メダル』でも金メダルをとったりして、ネタが面白かったんだね(笑)。でもそれが頂点だったんです。その後当然トーク番組とかに出るようになるんですけど、それがうまくいかなくて......」

高倉「トーク番組に出ても1回しか呼ばれなかったりして、なだらかに下がっていきました。しかもちょうどネタ番組も減っていった時期で、それからが地獄の始まりでした。しかもその頃にちょうど『爆笑レッドカーペット』でそれまで僕らに取り残されてた芸人たちがブワァーッと出てきて、逆に僕らはまだ若かったんですけど、他の番組のオーディションに行っても『もう三拍子はいいでしょ~』みたいな感じになるんですよ」

久保「一番ひどいときは年収がゼロでしたからね。お笑いライブだけしか仕事がなくて、お笑いライブに出てもらえるお金は交通費くらいにしかならないので赤字でした」

高倉「でも2014年に『THE MANZAI』で敗者復活戦から勝ち上がって、また『やっぱりネタ面白いじゃん三拍子!』って言ってもらえるようになりました。実は『お笑いハーベスト大賞』で優勝したりもしてるんですよ。でも仕事がこない、と。もうお笑い界もネタじゃないんでしょうねぇ(笑)」

■「自分が社長だった会社で今はバイトしています」

テル「俺はサンミュージックがお笑いを立ち上げようとしていた時期に事務所に入りました。当時は"どーよ"っていうコンビで活動をしてたんですけど、事務所がお笑いを立ち上げた時期だけあって最初は結構力を入れてくれてたんです。『24時間テレビ』や『進め!電波少年』にも出ていたので、『もう結構知名度も上がってるだろうし』ってお笑いライブに出たりしていたんですけど、いざ出たらシーンって......。

その後ひとりでやったロバート・デ・ニーロのモノマネがウケて、『はねるのトびら』にも呼んでもらったりして一時期はすごく良かったんです。でもその辺で相方とケンカしてコンビを解散してからは営業がなくなって、そこから地獄のような日々が始まりましたね。もう芸歴も25年くらいになるんですけど、ここまでくるとよくわかんなくなってきますよね」

神宮寺「僕はまず大学に落ちて、専門学校に入るくらいの軽い気持ちで吉本の養成所に入ったんですけど、すぐに辞めちゃったんです。それで23、4歳のときに当時のフリーター仲間と一緒に人材派遣会社を立ち上げて社長をやってました。当時は年収が1,000万円くらいあったんですよ。それでそのときアルバイトの子たちを毎晩のようにご飯に連れて行っていたんですけど、その子たちが僕の言うことにものすごく笑うんですよ。それで前は芸人を志してたって伝えたら『まだ遅くないですよ! 今からでもいけますよ!』って言われたんです。それでもう一度やってみようと思って7年後にもう1回芸人になりました。

当時は『俺は絶対すぐ有名になれる』と思ってたんですけど、実際は全然ウケないんですよ。その後もコンビを結成したり解散したりして、ちょっとした浮き沈みはあってもそこまで大きくはハネなくて、今は当時自分がつくった会社でバイトをしています(笑)。今は派遣する側じゃなくてされる側になってるんですけど、いろいろ融通が効いていいですよ(笑)。ただ取引先とかは僕が元社長だったのを知っているので、当時の社長の僕を知ってる人が来たときは隠れてます(笑)。でももう何も気になりませんし、今ではいいバイト先です」

それぞれ全く違った"天国"と"地獄"を経験している4組。一度いい思いをしているだけあってやめられないというのはちょっとギャンブルに近いものも感じるが、何が起こるかわからないのが芸能界。もう一度"天国"を味わうこともできるかも!?

◆ブラックパイナーSOS
山野拓也と内藤正樹によるお笑いコンビ。太田プロダクション所属。山野は1979年8月9日生まれの千葉県出身で、特技はバレーボール、趣味はボクシング。内藤は1979年11月26日生まれの東京都出身で、特技はパチンコ、趣味はバスケットボールやゲーム。

◆三拍子
1981年2月16日生まれ、北海道出身の高倉陵と、1981年10月8日生まれ、東京都出身の久保孝真によるお笑いコンビ。「第3回お笑いハーベスト大賞」で優勝した他、「THE MANZAI2014」のファイナリストにも残っている。

◆テル
1969年12月14日生まれ。過去にどーよというコンビを結成していたが解散し、現在はピン芸人として活動している。また、ロバート・デ・ニーロのものまねタレントとしても知られる。

◆神宮寺しし丸
1975年11月12日生まれ。大阪府出身。20代の頃にフリーター仲間と派遣会社を立ち上げ社長を務めていたものの芸人に転身。2008年にコンビを解散し、現在はピン芸人として活動している。

(写真は上段左からブラックパイナーSOS・山野拓也と内藤正樹、神宮寺しし丸、下段左から三拍子・高倉陵と久保孝真、テル)

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(取材・文/木村彩乃@HEW

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