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90年代に小室ブームという社会現象を起こした小室哲哉。
ミリオンセラー170曲に相当するCD売上1憶7千万枚を一人で成し遂げた男である。
その小室のヒットの秘訣(ひけつ)と引退の真相が、10日(火)放送の『マツコの知らない世界SP』で披露された。

サムネイル

マツコ・デラックス/Matsuko-Deluxe, Oct 05, 2014 : 「マツコの知らない世界」(写真:MANTAN/アフロ )


マツコと小室哲哉の直接トークは必見!「メガヒットの秘訣と引退を意識した真相」>>



TM NETWORK(ティーエム・ネットワーク)を1994年に一時的に終了させ、多くのアーティストの作詞、作曲、編曲と音楽プロデュースを一人でこなすようになった。手がけたアーティストは、観月ありさ・篠原涼子・TRF(Tetsuya komuro Rave Factory)・globe・内田有紀・安室奈美恵・hitomi・華原朋美・鈴木あみ等々。

数々のミリオンセラーやヒット曲が続出したが、象徴的なのは96年4月15日付のオリコン週刊シングルランキング。

1位「Don't wanna cry」 安室奈美恵  14.7万枚
2位「I'm proud」    華原朋美    12万枚
3位「FREEDOM」      globe    9.6万枚
4位「Baby baby baby」 dos 9.1万枚
5位「Love&Peace Forever」trf 7.3万枚

以上のように、トップ5を全て小室プロデュース曲が独占。5曲で一週間に53万枚を売りまくった。多くのメディアが「小室ファミリー」「小室サウンド」「小室系」と呼ぶようになり、いわゆる"小室"というカテゴリーができた瞬間だった。

■ ヒットの秘訣は、綿密な計算

・TRF「Ez Do Dance」(93年)
例えばTRF「Ez Do Dance」(93年)は、ターゲットを"ほろ酔いの大人"に絞り、あえて小中高の学生を相手にしない方針とした。クラブやお酒が必須だったカラオケでのヒットを狙ってのことだった。この結果、オリコンチャートの最高位は15位に留まるものの、BEST100に1年間ほどランクインするという異例のロングセラーとなった。最終的には79万枚ほどを売上げ、「第26回日本有線大賞」新人賞を受賞している。

そもそもTRFをダンス担当の3人を含む5人にしたのにも計算があった。
それまでの音楽番組では、バンド演奏の撮影方法が定番化していた。歌詞のある部分はボーカル中心に撮り、間奏中にバンドメンバーの演奏シーンを撮っていた。ところが小室は、カメラ割の定番を崩すことで新境地を開いた。TRFではボーカルが一番後ろに立ち、前をダンサーたちが占めた。音だけでなく、視覚的にも楽しませる手法で、新しさを前面に出したのである。翌年の「survival dAnce~no no cry more~」以後、「BOY MEETS GIRL」など5作連続でミリオンを達成したのは、改めて確認するまでもない。

・篠原涼子「恋しさと せつなさと 心強さと」(94年)
1994年発表の篠原涼子の「恋しさと せつなさと 心強さと」は、売上200万枚を突破して、小室作品として初のミリオンセラーになった曲。東京パフォーマンスドールの中から熟慮の末に彼女を選んだというが、それは篠原に備わった才能ゆえ。一つは、誰かになり切ることに優れていた点。そしてもう一つは、ダウンタウンの番組で鍛えられており、無理を言っても大丈夫という確信だったという。そして確実にヒットさせるべく目指したのは"ドラマ仕立て"。「3分の間に、私の全てを見て」という彼女のパワーを全開させるべくプロデュースしたという。

・華原朋美「I BELIEVE」(95年)、「I'm proud」「Hate tell a lie」(96年)
1995年「I BELIEVE」、96年「I'm proud」「Hate tell a lie」などミリオンセラーを連打した華原朋美をヒットさせるためのキーワードは"セレブ感"。「マライア・キャリーになりたい」「マライア・キャリーが大好き」という彼女の意向をくんでシンデレラストーリーを意識したという。具体的には「I'm proud」のイントロに、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・フルート・ホルン・トランペット・ティンパニーなど十数種類の楽器を動員し、歌を聞く前に聞き手にゴージャスな気分を届ける作戦に出た。そこに「彼女の声は涙腺を刺激します。天性の声質を持っている」と小室が絶賛する歌が始まり、聞く人の心をわしづかみにしたのである。

・安室奈美恵「SWEET 19 BLUES」(1996)
安室奈美恵の「SWEET 19 BLUES」(1996)も卓越したマーケティング戦略があった。同曲は彼女が18歳の時に作ってあり、19歳の時にしか歌えない曲にしたいと1年温存してから世に出した。
累計出荷枚数は370万枚におよぶが、実は100万枚プレスするごとに、ジャケットを変えるプロモーション方法も当初からの計算だった。1枚目は安室の顔、2枚目は顔なしの体のみ、3枚目は髪をかき上げる半身、4枚目は足のみ。この作戦により2~3枚購入した熱いファンが少なからずいたという。

■宇多田ヒカルの登場により、引退を意識

こうして上り詰め、一時代を築き上げた男も、やがてピークを超える。
そして「ヒットの方程式が見つからない」と悩むようになる。さらに引退を考えさせたアーティスト宇多田ヒカルが彗(すい)星のごとく登場する。

こうした小室哲哉の栄枯盛衰物語とその時々の小室の本音を、マツコは意外性のあるツッコミと巧みな間で引き出す。
そしてピーク後に、小室が「どんどん追い込まれていった」「自分の実績を超えるのが難しくなってきた」と感じ、引退を考えさせたアーティスト宇多田ヒカルの登場で、「詩のはめ方から、ラジオのしゃべり方まで、何から何まで自由で、いいなあ! うらやましいなあ!」と打ちのめされた状況を告白させるトークは絶品だ。

一つの時代の興隆と衰退を、きちんと追体験されたい方。90年代にキラ星のごとく輝いたヒット曲の数々を振り返りたい方。ぜひマツコと小室の直接のトークで、時代を感じ取っていただきたい。


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文責・次世代メディア研究所

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