ケツメイシ、結成15周年を迎えるも、常にマイペース! 飾らない魅力にせまる(?)/<視線の先>インタビュー
2016/9/12 12:15
今年で結成15周年を迎えたケツメイシ。さる8月6日、日産スタジアム公演『ケツメイシ 15th Anniversary 「一五の夜」 ~今夜だけ練乳ぶっかけますか?~ with キットカット ショコラトリー』と題し、ファン投票によるベストライヴを開催、また同日には通算10枚目のアルバム『KETSUNOPOLIS 10』をリリースするなど、アニバーサリーイヤーに相応しく精力的な活動をおこなっている。
「さくら」や「ビールボーイ」、「花鳥風月」など数多くの名曲を生み出しながら、今なお最前線で活躍し続けている彼ら。決して偉ぶらず、常に飄々とした持ち味を15年間もキープし続けてきた秘訣は、一体どこにあるのだろうか。ライブ前の楽屋にお邪魔すると、得意のジョークで煙に巻きながらも時折ホンネをのぞかせた。
祝・15周年 メンバーコメント映像>>
・ケツメイシ『ベストザ・ケツの穴』>>
・8月6日、日産スタジアム公演『ケツメイシ 15th Anniversary 「一五の夜」 ~今夜だけ練乳ぶっかけますか?~ with キットカット ショコラトリー』配信決定!(9/24 21時配信開始)>>
・<ケツメイシ 15周年スペシャル>過去ライブ映像を全タイトル配信>>
■ 最初の頃なんて、ライブをやってもメンバーとスタッフの数の方が、お客さんより多かった
ーー結成15周年を迎えて、今の心境は?
大蔵:あまり「15周年」っていう感じでもなくてですね、ほんと月並みな表現なんですけど、「気づけばいつの間にか15年経っていた」みたいな。日々の積み重ねの結果なのかなと。
RYOJI:まあ、15年前の自分を振り返るとゾッとするね。羽が生えてましたからね、当時は。
大蔵:おっと! 新人類!
RYOJI:もう今はなくなっちゃいましたからね、すっかり。
大蔵:グループが誕生した時から数えると、もう20年くらい経っていますからね。最初の頃なんて、ライブをやってもメンバーとスタッフの数の方が、お客さんより多かったですし。それが15年経って、7万人(日産スタジアム)の前で演奏することになるとは......。
RYOJI:昔は昔で面白かったこともたくさんありましたよ。打ち上げなんかも少人数で、サクッと居酒屋に行って。1杯100円くらいの生ビール飲んでね。その日にもらったギャラ、全部使い切ってました。
DJ KOHNO:今じゃ打ち上げも高級料亭ですからね。
大蔵:イヤらしいな(笑)。行かないですけどね、さすがに高級料亭は。
ーーメンバー同士の関係性は、15年の間にどのように変化しました?
RYOJI:まあ、色恋沙汰もありましたけどね。
大蔵:それはなかったでしょ! なかったです、はい。
DJ KOHNO:「恋愛関係をグループ内に持ち込んじゃダメ」っていうルールだったから。
RYOJI:てか基本、男だけだからね。
(一同笑)
ーーみなさんで集まった時に話すトピックなど、20代の頃とは変わってきました?
RYOJI:まあ、今は政治経済の話が多いかな。
RYO:「これからの日本」についてしか話してないかな。
大蔵:一度も聞いたことないですけどね、そんな話(笑)。
DJ KOHNO:あとはもう、セックスとドラックの話だけだもんね。
RYOJI:あとはウワサ話。「大蔵の悪口、誰かが言ってたよー」とかね。
大蔵:ええー、そうなの......?
■ ケツメイシは自分たちだけのものだと思ってたけど、そうじゃなかったことに気がついた
ーー活動の中で、ターニングポイントとなるような出来事はありましたか?
RYOJI:まだ来てないので、これから来るんじゃないですかね、ターニングポイントは(笑)。まだまだ「のびしろ」しかないですよ。
ーー(笑)。8枚目のアルバム『KETSUNOPOLIS 8』あたりで、アートワークも、サウンドのカラーも大きく変わりましたよね?
大蔵:それはありましたね。アルバムの表記も英語にしてみたり。
DJ KOHNO:ちょうど自分たちを見つめ直そうと思っていた時期だったんですよね。「これからケツメイシは、どういうことをやっていくべきなのか」とか。
RYOJI:「ちゃんと決められた時間に出勤しないといけないんじゃないか?」とかね。
大蔵:当たり前でしょ、そんなの(笑)。
RYO:まあ、でもあのときは本当に色んなことを考えましたよね。ちょっと流されてしまいがちな時期だったので。
RYOJI:なんていうか、ケツメイシは自分たちだけのものだと思ってたけど、そうじゃなかったっていうことに気づいたっていうかね。
ーー応援してくれるファンに対しての責任感のような。
大蔵:そうですね。こんなふうに自分たちのペースを守らせてもらっているっていうのは、有難いことですし。
ーー『ケツノポリス7』までは首里城の前でジャケット撮影をしたり、ツアーの最終日を沖縄にしたり、沖縄には並々ならぬ思いがあると思いますが。
RYOJI:沖縄はケツメイシよりも変わったかもね、この15年で。街並みにしても建物にしても、どんどん拓(ひら)けていった気がする。俺らが初めて行ったときは、みんなサトウキビかじってたもんね?
大蔵:いつの時代ですか!(笑) いや、サトウキビは今でも食べますけどね、水分補給になるし。まあでも、初めて僕らのアルバムがグワッと売れたのは、沖縄のタワレコさんだったんですよ。僕らケツメイシは沖縄から火がついたっていうところもあるので、やっぱり思い入れは大きいですよね。
RYOJI:沖縄に育てられたっていう感謝の気持ちはありますね。ただ、沖縄からこちらへの感謝がない。
(一同笑)
ーー15年も経つとファン層も変わりました?
RYOJI:ですね。最近、特に沖縄のライブでは子連れで来てくれるファンも多くなりました。
大蔵:ああ、そうですね。普通にアリーナの最前列付近に、家族で来た人がいたりね。15年も続けていると、こういう光景になってくるんだなあって。
RYOJI:ほんと、「いつ(子ども)作ったんだ、おまえら?」って聞いて回りたいですね。
大蔵:それはいいでしょ別に!(笑)
ーーところで、いまプライベートで夢中になっていることってあります?
RYO:なーんもない。
(一同爆笑)
RYOJI:過疎化が進んだ農家のおじさんみたいなこと言いますね。「なぁんもねぇ」て(笑)。まあね、口にしないけど、いろいろあるんじゃないですかね、夢中になってること(笑)。僕は相変わらずゴルフですけど。
DJ KOHNO:僕はゲームですね。「サマナーズウォー」っていうアプリゲームで、珍しく1年続きました。
RYOJI:で、大蔵さんは子作りに夢中と。
大蔵:そうそう。曲作らずに子供ばっかり作って...ってコラ!
(一同笑)
大蔵:まあ、僕は体を動かすのが好きなので、筋トレやったりサーフィンやったり、最近はゴルフやったりっていう感じですね。
◆ ケツメイシ
RYO、RYOJI、大蔵、DJ KOHNOによる3MC1DJユニット。1993年にRYOが通う大学の仲間が中心となって母体が誕生し、1996年頃に現在のメンバーに。1999年、初インディーズ曲「こっちおいで」をリリースし、2001年には「ファミリア」でメジャーデビュー。その後も多くの名曲を発表し、2005年2月発売のシングル「さくら」で初のオリコン週間ランキング1位を獲得。ヒップホップとレゲエを下敷きにあらゆるジャンルを飲み込むスタイルで、スマートながらも人間味が伝わってくる中毒性の高いナンバーを連発、その人気を不動のものとする。2012年4月にavex traxへ移籍。以降も精力的な活動を続けている。座右の銘は、「普通が一番」(全員)
(取材・文&撮影/黒田隆憲)

結成15周年を迎えるケツメイシ
「さくら」や「ビールボーイ」、「花鳥風月」など数多くの名曲を生み出しながら、今なお最前線で活躍し続けている彼ら。決して偉ぶらず、常に飄々とした持ち味を15年間もキープし続けてきた秘訣は、一体どこにあるのだろうか。ライブ前の楽屋にお邪魔すると、得意のジョークで煙に巻きながらも時折ホンネをのぞかせた。
祝・15周年 メンバーコメント映像>>
・ケツメイシ『ベストザ・ケツの穴』>>
・8月6日、日産スタジアム公演『ケツメイシ 15th Anniversary 「一五の夜」 ~今夜だけ練乳ぶっかけますか?~ with キットカット ショコラトリー』配信決定!(9/24 21時配信開始)>>
・<ケツメイシ 15周年スペシャル>過去ライブ映像を全タイトル配信>>
■ 最初の頃なんて、ライブをやってもメンバーとスタッフの数の方が、お客さんより多かった
ーー結成15周年を迎えて、今の心境は?
大蔵:あまり「15周年」っていう感じでもなくてですね、ほんと月並みな表現なんですけど、「気づけばいつの間にか15年経っていた」みたいな。日々の積み重ねの結果なのかなと。
RYOJI:まあ、15年前の自分を振り返るとゾッとするね。羽が生えてましたからね、当時は。
大蔵:おっと! 新人類!
RYOJI:もう今はなくなっちゃいましたからね、すっかり。
大蔵:グループが誕生した時から数えると、もう20年くらい経っていますからね。最初の頃なんて、ライブをやってもメンバーとスタッフの数の方が、お客さんより多かったですし。それが15年経って、7万人(日産スタジアム)の前で演奏することになるとは......。
RYOJI:昔は昔で面白かったこともたくさんありましたよ。打ち上げなんかも少人数で、サクッと居酒屋に行って。1杯100円くらいの生ビール飲んでね。その日にもらったギャラ、全部使い切ってました。
DJ KOHNO:今じゃ打ち上げも高級料亭ですからね。
大蔵:イヤらしいな(笑)。行かないですけどね、さすがに高級料亭は。
ーーメンバー同士の関係性は、15年の間にどのように変化しました?
RYOJI:まあ、色恋沙汰もありましたけどね。
大蔵:それはなかったでしょ! なかったです、はい。
DJ KOHNO:「恋愛関係をグループ内に持ち込んじゃダメ」っていうルールだったから。
RYOJI:てか基本、男だけだからね。
(一同笑)
ーーみなさんで集まった時に話すトピックなど、20代の頃とは変わってきました?
RYOJI:まあ、今は政治経済の話が多いかな。
RYO:「これからの日本」についてしか話してないかな。
大蔵:一度も聞いたことないですけどね、そんな話(笑)。
DJ KOHNO:あとはもう、セックスとドラックの話だけだもんね。
RYOJI:あとはウワサ話。「大蔵の悪口、誰かが言ってたよー」とかね。
大蔵:ええー、そうなの......?
■ ケツメイシは自分たちだけのものだと思ってたけど、そうじゃなかったことに気がついた
ーー活動の中で、ターニングポイントとなるような出来事はありましたか?
RYOJI:まだ来てないので、これから来るんじゃないですかね、ターニングポイントは(笑)。まだまだ「のびしろ」しかないですよ。
ーー(笑)。8枚目のアルバム『KETSUNOPOLIS 8』あたりで、アートワークも、サウンドのカラーも大きく変わりましたよね?
大蔵:それはありましたね。アルバムの表記も英語にしてみたり。
DJ KOHNO:ちょうど自分たちを見つめ直そうと思っていた時期だったんですよね。「これからケツメイシは、どういうことをやっていくべきなのか」とか。
RYOJI:「ちゃんと決められた時間に出勤しないといけないんじゃないか?」とかね。
大蔵:当たり前でしょ、そんなの(笑)。
RYO:まあ、でもあのときは本当に色んなことを考えましたよね。ちょっと流されてしまいがちな時期だったので。
RYOJI:なんていうか、ケツメイシは自分たちだけのものだと思ってたけど、そうじゃなかったっていうことに気づいたっていうかね。
ーー応援してくれるファンに対しての責任感のような。
大蔵:そうですね。こんなふうに自分たちのペースを守らせてもらっているっていうのは、有難いことですし。
ーー『ケツノポリス7』までは首里城の前でジャケット撮影をしたり、ツアーの最終日を沖縄にしたり、沖縄には並々ならぬ思いがあると思いますが。
RYOJI:沖縄はケツメイシよりも変わったかもね、この15年で。街並みにしても建物にしても、どんどん拓(ひら)けていった気がする。俺らが初めて行ったときは、みんなサトウキビかじってたもんね?
大蔵:いつの時代ですか!(笑) いや、サトウキビは今でも食べますけどね、水分補給になるし。まあでも、初めて僕らのアルバムがグワッと売れたのは、沖縄のタワレコさんだったんですよ。僕らケツメイシは沖縄から火がついたっていうところもあるので、やっぱり思い入れは大きいですよね。
RYOJI:沖縄に育てられたっていう感謝の気持ちはありますね。ただ、沖縄からこちらへの感謝がない。
(一同笑)
ーー15年も経つとファン層も変わりました?
RYOJI:ですね。最近、特に沖縄のライブでは子連れで来てくれるファンも多くなりました。
大蔵:ああ、そうですね。普通にアリーナの最前列付近に、家族で来た人がいたりね。15年も続けていると、こういう光景になってくるんだなあって。
RYOJI:ほんと、「いつ(子ども)作ったんだ、おまえら?」って聞いて回りたいですね。
大蔵:それはいいでしょ別に!(笑)
ーーところで、いまプライベートで夢中になっていることってあります?
RYO:なーんもない。
(一同爆笑)
RYOJI:過疎化が進んだ農家のおじさんみたいなこと言いますね。「なぁんもねぇ」て(笑)。まあね、口にしないけど、いろいろあるんじゃないですかね、夢中になってること(笑)。僕は相変わらずゴルフですけど。
DJ KOHNO:僕はゲームですね。「サマナーズウォー」っていうアプリゲームで、珍しく1年続きました。
RYOJI:で、大蔵さんは子作りに夢中と。
大蔵:そうそう。曲作らずに子供ばっかり作って...ってコラ!
(一同笑)
大蔵:まあ、僕は体を動かすのが好きなので、筋トレやったりサーフィンやったり、最近はゴルフやったりっていう感じですね。
◆ ケツメイシ
RYO、RYOJI、大蔵、DJ KOHNOによる3MC1DJユニット。1993年にRYOが通う大学の仲間が中心となって母体が誕生し、1996年頃に現在のメンバーに。1999年、初インディーズ曲「こっちおいで」をリリースし、2001年には「ファミリア」でメジャーデビュー。その後も多くの名曲を発表し、2005年2月発売のシングル「さくら」で初のオリコン週間ランキング1位を獲得。ヒップホップとレゲエを下敷きにあらゆるジャンルを飲み込むスタイルで、スマートながらも人間味が伝わってくる中毒性の高いナンバーを連発、その人気を不動のものとする。2012年4月にavex traxへ移籍。以降も精力的な活動を続けている。座右の銘は、「普通が一番」(全員)
(取材・文&撮影/黒田隆憲)