ここから本文です

思い入れある音楽とともに、阿川佐和子がゲストの意外な側面や表情を引き出す『サワコの朝』(MBS/TBS系全国ネット、土曜・午前7時半)。
今回はサッカー日本代表でキャプテンを務める長谷部誠(はせべまこと)に、プロの名選手&リーダーの条件などに迫った。

サムネイル

長谷部誠/Makoto Hasebe, DECENBER 24, 2016 : 日本ユニセフ協会大使任命式(写真:アフロ)


【無料配信】プロサッカー選手・長谷部 誠が出演!「サワコの朝」最新話を配信中>>


■高校まで

長谷部は1984年1月18日、サッカーが盛んな静岡県藤枝市に生まれた。
3歳のときにアニメ「キャプテン翼」の大空翼に憧れてサッカーを始め、小学校のスポーツ少年団、中学校サッカー部を経て、静岡県のサッカー名門校・藤枝東高校に入学した。同期には、後にプロ選手になった岡田佑樹(コンサドーレ札幌)、金澤大将(横浜FC)などがいる。

ところが当初は目立たない選手で、高校2年まで試合に出られなかった。同校には上手な順にA~Dの4チームあったが、長谷部はしばらくCチームだった。
3年になってようやくAチームにはい上がれた。今振り返ると、サッカー人生で一番成長した時期だったという。
それでも実際は、どちらかというとサボるのが得意なタイプで、「真面目な長谷部」というイメージと実像は全く異なる。例えば走りの時も、先生が見ている時はしっかり早く走るが、先生が違う方向を見た時に力を抜いていた。
つまり当時の監督は良いところだけを見て、「あいつ良いな!」と試合に使ってくれたそうだ。
本人曰(いわ)く、「その頃から周りを見る力があったかも?」。

■プロへ

実は高校3年の途中まで、プロという意識は全くなかった。学校は進学校で、皆勉強で大学に行く雰囲気だった。実際に長谷部の学年は、「大学何人、浪人何人、そして就職が僕だけ1名」だった。
高校3年の夏に、浦和レッズのスカウトが「欲しい」と言ってくれた。ところが長谷部は、「この人、何言ってるんだろうな」と思った。プロで通ずる選手ではないと思っていたからだ。
「ボクよりプロに近い選手はたくさんいる」と思っていた。

両親も「まずは大学に行きなさい。大学に行ってからでも遅くない。1年でダメなら首を斬られる世界なので......」と反対された。
ところが、高校時代も毎試合見に来てくれていた祖父が賛成してくれた。
ふだんは寡黙でほとんどしゃべらないが、この時は「男だったら、挑戦してみるのも好いんじゃないかな」と一言だけ、背中を押してくれたという。
皆反対だったが、これで「ああ、いけるなあ」と確信したそうだ。

■プロでの転機

レッズに入ってみたら、高校サッカーとはレベルが全く違い、初めてのシーズン前合宿にも連れて行ってもらえなかった。入った途端に戦力外という位置づけで、親に電話で報告した後に、一人で泣いていた。

そして1年目が終わったオフに転機が訪れる。
当時入院中で「プロでの試合が見たい。誠の試合を見に行きたいなあ」とベッドの上でずっと言っていた祖父が他界したのである。
一番応援してくれていた祖父の夢を叶(かな)えられなかった悔しさが、長谷部のスイッチを切替させた。
「祖父は天から見ていてくれる。普段から見られている。甘いことしていたら、じいちゃんに合わせる顔がない」
長谷部のサッカーに取り組む姿勢が一変した。
「プロとして厳しいかなあという甘えを捨て、先輩に体当たりして行く感じでやっていたら、"あっ、いけるなあ"と思えるようになった」という。

実は長谷部はゴールを決めた時、天に向かって両手の人差し指を上に向ける。
これは偉大な存在だった祖父に、「やったよ、じいちゃん」と話しかけているそうだ。

■名選手&リーダーへ

その後長谷部は、2005年末に初めて日本代表に選ばれたが、2006年のワールドカップの代表メンバーからは漏れてしまう。
ところが2008年にドイツ・ブンデスリーガのチームに移籍して以降、再び頭角を現す。移籍2シーズン目となる2008-09シーズンに、クラブのドイツ国内主要大会初優勝に貢献した。このシーズン途中に移籍してきた大久保嘉人とともに、奥寺康彦以来31年ぶりにブンデスリーガ優勝を経験した日本人となった。
さらに日本人選手として5人目のUEFAチャンピオンズリーグ出場も果たした。

日本代表としては、08年からレギュラーに定着。
そして2010 FIFAワールドカップの日本代表メンバーに選出されるとキャプテンに指名され、日本代表のベスト16入りに貢献した。以後、日本代表のキャプテンを務める。

長谷部のプレースタイルは、この間に急速に進化した。
浦和レッズ時代は繊細なボールタッチが持ち味だった。ドイツ移籍後は、中盤で攻守をこなし、さらに最終ラインにも入れるユーティリティプレイヤーとなった。持ち前のテクニックに加え、フィジカルと対人プレーの強さを体得した。また守備でも危険察知力、カバーリングが成長したと言われる。

■番組の見どころ

番組での長谷部の話を聞くと、当初必ずしも傑出していなかった人が、どんなプロセスでどう成長していくのかを垣間見ることができる。

特に番組がゲストに選んでもらっている「記憶の中で今もきらめく曲」2曲。
長谷部はアグネスチャン『ひなげしの花』とMr.Children『彩り』を選んだ。これら2曲を聞くと、彼がどこまで来たのか、どんなに偉大な存在になれたのかをしみじみ理解できるようになっている。

「厳しい練習だったが、辞めようと思ったことは一度もない。サッカーのない人生は考えられない」
「監督や人のせいにするのは、簡単なようであり、実は変えられないもの。自分が変わった方が早い」
「つらい地道な努力が、結果として人々の感動につながる」

こうした名言に出会うことのできる珠玉のインタビューにこの番組はなっている。

【無料配信】「サワコの朝」配信中>>

文責・次世代メディア研究所

Facebookコメント
※本コメント機能はFacebook Ireland Limitedによって提供されており、この機能によって生じた損害に対してヤフー株式会社は一切の責任を負いません。
PR

最新記事

rss

もっと見る

本文はここまでです このページの先頭へ