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日本でヒット曲を最も多く歌った歌手は、五木ひろしである。
TOP100にチャートインした作品数で歴代単独1位の記録を持つ。他にも燦(さん)然と輝く記録がいくつもある。

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五木ひろし/Hiroshi Itsuki, Dec 30, 2014 : 「第56回 輝く!日本レコード大賞」(写真:MANTAN/アフロ)


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※NHK紅白歌合戦通算出場回数46回(歴代単独3位)/通算出場曲数40曲(歴代単独1位)
※日本レコード大賞・大賞2回(歴代3位)
※「長良川艶歌」が『ザ・ベストテン』12年間の第1位
※シングル発売連続47年(147曲)

そんな数々の記録を持つ五木ひろしのトークを聞いていると、まさに「歌は世につれ世は歌につれ」という言葉を思い浮かべる。彼の歌手人生は、歌謡曲全盛の70年代から、音楽界が一変した現代までを映しているからである。
9月16日放送の『サワコの朝』(MBS/TBS系全国ネット、土曜・午前7時半)は、前回の「さだまさし」に続き、日本の歌謡シーンを凝縮した番組となった。

■ヒットするまで

1948年に京都で生まれた五木ひろし。
父が鉱山技師だったために、鉱脈を追って家族で各地を転々としていた。幼稚園から小学校2年生までが三重県鳥羽市。その後が福井県美浜町。その頃からラジオで新曲が出ると、1番の歌詞を走り書きし、2~3番を聞きながら1番を歌ったという。これで歌詞とメロディーをマスターしていった。
第一線の歌手は年間数曲以上の歌を出す。有名な歌手が50人ほどいるので、1年で数百曲に及んだ。これを中学まで続けていたため、後に3000曲が歌えるようになっていた。一芸に秀でた人には必ず地道な努力が前提にあるというが、五木ひろしも正にそのパターンだ。

待ちに待った中学卒業と同時に、長姉を頼り京都へ移り、関西音楽学院に入学。
そして1年後に単身上京して、第15回コロムビア全国歌謡コンクールにて優勝。"松山まさる"を芸名にして、「新宿駅から/信濃路の果て」でデビューした。ところがヒットせず、その後に一条英一・三谷謙と2度芸名を変えるも、一曲もヒットに恵まれなかった。5年間、苦しい下積み生活が続いた。

■流行歌手へ

転機は1970年。
オーディション番組『全日本歌謡選手権』に歌手生命をかけて出場。みごと10週連続で勝ち残り、グランドチャンピオンに輝いた。これを契機に山口洋子と平尾昌晃に師事。翌71年春に4つ目の芸名"五木ひろし"に改名・再デビューした。当時流行作家だった五木寛之からとった名前である。

そして出会ったのが「よこはま・たそがれ」(作詞:山口洋子/作曲:平尾昌晃)。
「よこはま」「たそがれ」「ホテルの小部屋」
「くちづけ」「残り香」「たばこのけむり」
「ブルース」「口笛」「女の涙」......と単語の羅列というそれまでに例のない詞だった。
「あの人は行って行ってしまった」「もう帰らない」と文章が出てくるのはサビだけというユニークさだ。
そして曲は平尾が初めて手掛けた演歌作品。モダンでソフトな曲調となった。
さらに画期的だったのが、五木のポーズ。左手にマイク、体をやや斜めに構え、右手は拳を握った。所属プロダクションが、チャンピオン沢村忠などを輩出したキックボクシングの事務所だったからか、自然に出来上がった格好だった。かくして新しい演歌歌手が誕生し、スターダムにのし上がって行ったのである。

■『ザ・ベストテン』のエピソード

番組では、1978年から89年まで12年続いた『ザ・ベストテン』の中のエピソードが紹介される。
1位をとった「おまえとふたり」(作詞:たかたかし/作曲:木村好夫)の時には、番組側がリクエストはがきで階段を作り上げた。「靴を履いて乗るわけにはいかない」と、五木は裸足になって熱唱した。

母のために建てた福井の豪邸から生中継したこともあった。
テロップで「五木邸をバックに衛星中継でご覧ください」と"衛星中継"を強調している点がおもしろい。
実は当時の『ザ・ベストテン』は、ランクインした歌手を追ってどこへでも行くことを売りにしていた。ハワイや豪州などからの衛星中継が入るようになっていたが、TBSの系列局がない福井も"衛星中継"の対象となるほど大変な場所だったようだ。
しかもラストの映像がおもしろい。豪邸の門から、神社かと思える豪華な庭をカメラがなめると、庭に面した和室がフレームインする。すると親戚縁者など50人がカメラに正対している。五木は「夢が実現した」と言っていたが、まさに"故郷に錦"、敗戦の焼け跡から高度経済成長した日本を象徴するような映像だった。

■五木が選んだ2曲

番組では、ゲストに2曲を選んでもらっている。
「記憶の中で今もきらめく曲」は、美空ひばり「リンゴ追分」(52年)。
5~6歳の頃、ラジオで聞いていた曲で、母が入院した時に見舞いに行って歌い、以来病室のみんなが楽しみしてくれた曲だった。歌手をめざすきっかけになった曲だ。

2曲目の「今、心に響く曲」は、井上陽水の「人生が二度あれば」。
"もし親に人生が二度あれば、今度はもっと楽な、自分のための人生を送って欲しい"という子供の視点の歌だが、「今は親の立場になり、そんなことを思ってくれる子供の心がわかる親の思い」を五木は重ねているという。

2曲目にフォークソングを選んでいるが、演歌歌手の五木は早くからフォークやポップスなど、幅広いジャンルの音楽を取り入れている。NHK交響楽団とポップスでジョイント・コンサートを開いたこともある。シャンソンをカバーしたこともある。「ジャンルが異なる歌手が一緒だからおもしろい」「うまい下手ではない。良い歌かどうかが重要」という五木は、今の歌謡界が「ジャンルごと、世代ごとに分かれてしまった」ことが残念でならないという。

下積みを入れるとほぼ半世紀。
歌謡界に関わってきた五木のトークや歌を聴くと、まさに「歌は世につれ世は歌につれ」という通り、歌も変化すると同時に、時代が変わってきたことが見える。しかし変わらない思いがあるからこそ、五木がずっとトップランナーだった状況も浮かび上がる。
半世紀の歌手人生を30分に凝縮した番組は、なんとぜいたくな時間だろう。

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文責:鈴木祐司 次世代メディア研究所

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