ここから本文です

各界で活躍する人物にスポットを当て、その人の魅力・素顔に迫る人間密着ドキュメンタリー番組「情熱大陸」。
9月23日の放送は、この夏一躍有名人となった78歳のスーパーボランティア・尾畠春夫に密着した。
番組スタッフによる番宣用つぶやきは、「携帯電話は持たない主義。目撃情報を頼りに、居場所を探すことから取材がはじまりまして......(笑)知れば知るほど魅力的な方でした」となっていたが、番組は本当にニュースでは見えない尾畠さんの魅力に迫っていた。

サムネイル

イメージ画像(写真:アフロ)


【無料配信】「情熱大陸」最新話を配信中>>

■番組オープニング

番組冒頭は、取材班と尾畠さんが出会うところから始まっていた。以下がファーストコメント。
「どうやったら本人を探し出せるのか? 当てもなく被災地に入った。なにしろ、携帯電話を持たず、車に寝泊まりしているのだ。だが、今や彼は時の人。居場所はすぐにわかった」
大上段に構えず、普通の人の感覚に寄り添って相手に迫る当番組。オープニングから目線が優しい。

この8月、山口で行方不明になった2歳児をたちどころに見つけ出し、一躍メディアの脚光を浴びた。
その後尾畠が、さまざまな被災地で汗をかいてきた人物であることがわかり、過去の映像も含め、活動ぶりが連日報道されるようになった。
番組が密着取材を申し入れると、「作業を決して妨げないこと」、取材の条件はその1点だけだった。

「誰も知らない尾畠春夫がここにいる」のコメントで、番組は密着を始める。
表面だけを捉えたニュースと一線を画す"ドキュメンタリーの覚悟"が宣言された。

■プロフィール

1939年に大分県の貧しい家庭に生まれ育った尾畠は、小学校5年で近所の農家に奉公に出される。
父の商売がうまくいかず、母が41歳で他界したために、いわば口減らしのために出されたのである。

「世の中なるようにしかならない。やるだけやってやろう」と考え、奉公先の主人や家族を親だと思い、一生懸命働いた。中学校へは4カ月しか通えないほど忙しかったという。

中卒後には鮮魚店で見習いを始めた。
別府・下関・神戸を転々として、10年修行を積んだ。そして20代後半で店を持ち、地元の人気店になったという。
40歳で登山を始め、60歳頃から登山道の整備などのボランティアを開始した。そして65歳で店を畳むと、余生をボランティアに捧(ささ)げるようになった。
新潟県中越地震を皮切りに、東日本大震災・熊本地震・西日本豪雨など、多くの被災地で活動を続けている。

南三陸町では、500日を過ごした。いつしか若者から"師匠"と慕われたり、"神"のようだと言われたりするようになった。

■名言と哲学

ボランティアについては、報酬を一切受け取らないことをポリシーにしている。
「恩返しさせてもらいたい。何でもやらせてもらいたいという気持ちが揺らぐのが怖い」。あくまで謙虚だ。

尾畠のヘルメットには、「絆」「一歩前へ」「命は一つ 人生は一度」などの文字が大書されている。紆余曲折(うよきょくせつ)のあった人生ゆえの言葉のようだ。
特に「絆」は東日本大震災で言われるようになった言葉だが、尾畠にとっては小学5年の時に亡くした母のことが強く意識されているようだ。

取材カメラは、その母について迫った。
「お袋から、頭撫(な)でて欲しいなと思うわ」「もう78歳になるけど、お袋に思いっ切り抱きしめてもらいたい」
こう言って尾畠は涙を流した。
被災現場で休みなく働き続けるカクシャクとした姿からは想像できない本音だった。たっぷり甘えることも叶(かな)わなかった母が天国から見ているという思いが、尾畠のモラルを支えているようだった。

カメラは再び被災現場に戻った尾畠を捉えた。
「まだ健康である限りやらせてもらう。どこで何が起きても、自分が車で行けて、車中泊しながら、まだ自分にできるなって自分で思ったら、まずは行動に移します。やります。やらせてもらいます」

ニュースで見た時には、「とても真似できない」とは思いつつ、「なぜここまでやるのか」ちょっと変わったおじいさんという印象だった。
ところが密着ドキュメントを見ると、筋が一本通った良心的な人間を産み育てた時代や環境というものが見えてくる。
そして改めて思う。「とても真似できない!」

【無料配信】「情熱大陸」最新話を配信中>>

文・鈴木祐司 次世代メディア研究所

Facebookコメント
※本コメント機能はFacebook Ireland Limitedによって提供されており、この機能によって生じた損害に対してヤフー株式会社は一切の責任を負いません。
PR

最新記事

rss

もっと見る

本文はここまでです このページの先頭へ